令和6年5月、長崎。
全国から500人を超える教育長が参集して「全国都市教育長協議会」の総会がありました。
総会2日目の5月10日。20分ほど時間をいただき発表してきました。
発表が終わったあと、プレゼン資料を共有して欲しいとの連絡を何人かの教育長からいただきました。
また、研修に来て欲しいとのお声もいただきました。
同じお考えや思いをお持ちの方も少なからずいるのだなということに、
20分という限られた時間と内容の発表でしたが、お引き受けした甲斐をいただきました。
以下に、どのような発表をしたかについてご紹介いたします。
第2部会「学校教育」では
これからの学校教育においては、人間の予測を超えて、加速度的に変化する社会に主体的かつ柔
軟に対応する力を育成する教育を推進しなければならない。
ということでございます。
社会変化に伴う教育課題への対応、等々ということなのですが...。
本日の私からの発表は、何か素晴らしい成果をあげているので、
その取組を聞いてくださいという内容にはなっておりません。
むしろ、子どもの教育を云々言う前に、そして具体な方法論を言う前に、
大人の側の教育観、学習観の転換をどう考えるか。
個に応じた指導から、個別最適な学びへ。
主権者の移転を伴う変化のことを革命というわけですが...
いわば天動説から地動説への変化に匹敵するような、パラダイムシフト。
どのようにすれば、学校、教員、保護者、地域の教育観の転換の機運を高めることができるか。
そこで悶絶しておりますという内容になります。
学校や教員が教育観を変えるということ自体も、なかなかのハードルの高さではありますが、
仮に学校や教員が変わろうとしたとしても、社会の側がこれまでと同じことを求めるのであれば、
学校が変わることは、なかなかに難しいのではないかと感じます。
そのような悩みを共有したいということであります。
私は55歳まで、海上保安庁で勤務していました。
30年以上の間に、様々なことを学ばせていただきました。
その中で、今に生きる最大の学びは次の2点です。
一点目 技術が職を代替する。
二点目 モチベーションにまさるパフォーマンスはない。ということです。
左上の写真。
工作船への威嚇射撃の画像です。照準はかつては、いわば射手の勘と経験と度胸でした。
今はコンピューターにより、ほぼ100発100中です。
左下 かつて、全国津々浦々に灯台守がいました。今は遠隔自動制御です。
右上 船の位置測定、かつては天測でした。今はGPS です。
右下 通信衛星が飛ぶようになり、モールス信号は不要になりました。
モールスの通信士も姿を消しました。
技術が職(役割)を代替する。そういうシーンをたくさん見てきました。
右側の画像。
伊藤英明さん主演の映画海猿は大ヒットになりました。
映画がヒットする前。
潜水士は、なり手を集めるのにも苦労していました。危険でキツイからです。
映画が大ヒットとなり。
訓練生はヒーローの姿に自分を重ねます。感動と憧れがもたらす力の大きさを知りました。
訓練生は自ら進んで過酷な訓練をするようになりました。
モチベーションにあふれる訓練では、ものすごいパフォーマンスがでます。
やらされ、強制まじりの訓練とは、比べようもない成長の姿を見せるようになりました。
自分自身の職務への使命感、自信と誇り。
それが、新しい伝統になりました。
日本の人口推移です。
明治維新から100年ちょっとで3300万から1億2000万まで人口が増えました。
1億人近い増です。
そしてこれから100年かけて 元に戻っていくと言われています。
人口が増えている期間というのは、ものすごい勢いで人の数が、しかも、子どもや働き盛りの人の数が、増えていきます。
ですから、物は作っても作っても足りない、サービスも提供しても、提供しても行き渡らない。
こういう状況での成功の秘訣は、既に結果を出してる人の真似をすることです。
成功事例の再現です。
一律一斉、横並び、前例踏襲がうまく結果を出す秘訣です。
逆に言えば、失敗する可能性があるチャレンジをわざわざやる必要はない、という言い方もできます。
この人口ボーナス期は、実は、明治5年に学制が公布されてから 150 年間。
一律一斉の教育が行われてきた150年とほぼ時期が重なっています。
そのことで、実際に目覚ましい結果も出してきました。
欧米列強に追いつけ追い越せ、戦後の復興、高度経済成長、ジャパン・アズ・No1 です。
一方、ピークを過ぎて人口が減る局面に入ると...、しかも若い人ほど減る状況になると、構造は逆転します。
供給が需要を上回り、モノは余る、サービスも余る、情報も余る、そういう状況になっていきます。
こうした状況での成功の秘訣は2番煎じというわけには行きません。
正解の再現は、いわば値引き合戦の消耗戦になります。
一律一斉、横並び、前例踏襲は、リスクになり 、
これまでにない新しいものを創り出す、
「チャレンジ」が「チャンス」となります。
私たちは、みんなと同じことを、同じ時期に、同じレベルで、同じようにできるということを、
そのことを求める教育を、今もしていないでしょうか。
これも有名な写真です。
左側。ストリート にずらっと並んでいるのは馬車です。この写真が1900年。
右側。ストリートに並んでいるのは自動車です。この写真は1913年。
内燃機関という人工動力が開発されました。
左側。馬車産業の人はおそらく全員失業です。わずか13年で馬車は一掃されました。
新しい技術に対して、打ち壊し運動をする人たちもいました。
一方、新しいテクノロジーを勉強し、使いこなせるようにトレーニングを積んだ人は右側に移ります。
新しい技術を活用した新しい産業が生まれました。
ところで
1913年。馬はどこへ行ったのでしょうか。
社会に動力を提供する役割が、人工動力に代替され、馬は社会の表舞台から姿を消しました。
社会の問題を知能を使って解決する存在であった人間。
その知能が人工知能に代替されるとしたら、人の役割はどのように変化していくでしょうか。
これからの教育が果たす役割は、これまでと同じでしょうか。
今ご覧いただいているのは、
現行の学習指導要領の改訂の前提となった、中教審の答申の一部です。
このような記述があります。
人工知能がいかに進化しようとも、
それが行っているのは、与えられた目的の中での処理である。
一方で人間は感性を豊かに働かせながら、
どのような未来を作っていくのか、
どのように社会や人生をより良いものにしていくのか、
という、目的を自ら考え出すことができる 。
出された問題に正解を返すというのは、まさに与えられた目的の中での処理にあたります。
それは人工知能が行うこと。
人間は、目的、つまり取り組むべき課題、今問うべきことを考え出すことができる。
いわば問いを立てることが人の役割ですよ。
そのように指摘しています。
本大会のテーマ。「生きる力を育む教育のあり方」を念頭において…、
生きる力の3本柱をちょっといじって、ポンチ絵を描いてみました。
左は知能。
正解のある問いを解く力。
言ってみれば、既にある1を10にする力。
理性、サイエンスの力。
正しく生きる力。時代に合わせる力。
こういう捉え方ができるかもしれません。
いわゆる認知能力。
そしてこの部分を使う職・役割が人工知能に代替されていくことになると感じます。
右は知性。
答えがない問いを問い続ける(探求する)力。
0から1を生む力。
感性、アートの力。
正しいではなく、面白く生きる力。楽しく生きる力。
時代に合わせるのではなく、時代を創る力。
それが持続可能な社会の創り手に求められる力です。
ただし、私も20ドル課金してGPT4を使っているのですが、
もはや、アートの分野も人工知能が実装されつつあるように感じます。
もしそうだとすると、これから一番重要になってくるのは、上側。
自分の人生と、自分が関わるコミュニティ、社会を他人事にせず、
自分ごととして向き合える力。
時代を自分ごとにする力(当事者能力)になっていくのではないかと感じます。
2019年に日本財団が行った「18歳の意識調査」。テーマは国や社会に対する意識です。
自分を大人だと思う。
自分は責任がある社会の一員だと思う。
こういった設問に対する日本の18歳の答えが飛び抜けて低くなっています。
一番問題だなと思うのは、
自分で国や社会を変えられると思う。
そう思ってる人が5人に1人にも満たないということです。
どうしてこのようなことになってしまうのでしょうか。
物心がついて、小学校1年に上がってから、18歳で高校を卒業するまで、12年間あります。
この12年間で、彼らがやっていることは何でしょうか。
家と学校の往復。
少し乱暴に言えば、勉強、部活、受験対策。 以上、終わりです。
社会との関わり、社会の大人との関わりが、極めて希薄だと言わざるを得ません。
関わる大人といえば、学校では先生、家では親。この人たちは、子供扱いする人たちです。
大人扱いをされたことのない18歳に、あなたは大人ですかと聞けばどうなるか。
そんなこと聞かれても、大人扱いなんかされたことないんですけど。とても自然な答えです。
社会との関わりがない人に、あなたは責任がある社会の一員ですかと聞けば、
社会と言われてもピンときません...。これも自然な答えだと思います。
社会のことが、自分ごとになってない人たちに、
自分たちで、国や社会を変えられると思うかと聞けばどうなるか。
いやいや、ムリです。そういう答えも極自然です。
大変皮肉なことですが、
子どもたちは、教育したとおりに育っているということなのかもしれません。
社会を変えるどころか、自分の進路さえも、自分の意思ではなく、模試の判定で決めていたりします。
もはや、自分の人生も、そして自分が属する社会も、他人ごとです。
当事者意識がありません。
写っているのは、平成30年西日本豪雨災害で被災した、吉田中学校にある復興記念碑です。
7月7日朝の被災でした。柑橘の産地で、2000箇所以上の土砂崩れがありました。
上水場が壊滅的な被害を受け、以後、真夏の盛りに2ヶ月以上にわたって水が出ませんでした。
泥を流す水がない。お風呂に入る水がない。トイレを流す水がない。
お金があっても店に何もない。
過酷な3ヶ月を過ごした、中学生が残したメッセージです。
食べれる、笑える、生きている、それだけで幸せ。そう刻まれています。
食べるものがある。笑い合える人がそばにいる。生きてる。それだけで幸せ。
被災する前日まで「ねえ新しいゲーム買ってよー」そう言っていたかもしれません
本当に大切なことは何か。彼らはそのことに気付かされました。
当たり前の毎日を送れるのは 多くの人の支えのおかげです、どんな時でもみんなで助け合おう。
そう刻まれています。
これが被災前の話なら、君、綺麗事を言うな。そういう話です。
全国から ボランティアの人が来てくださいました。自衛隊がお風呂を用意してくれました。
いろんな人たちが炊き出しに来てくれました。
当たり前の毎日を送れるのは、多くの人の支えのおかげです、どんな時でもみんなで助け合おう。
これは彼らの心の底からの本気の声です。
真ん中にはこうあります。
吉中魂。 「明るい未来を 僕らの手で」
日本財団の18歳の答えと違いすぎます。
招かれざる現実ではありましたけれども、彼等は地域社会の現実に向き合わざるを得ませんでした。
他人事ではありません。完全に自分ごとです。
彼らは地域の当事者になりました。傍観者ではいられなかったのです。
被災した吉田中学校。通学路もずたずたです。
学校長は学校に来なくていいから、家のまわりで、できることをしなさい。
そう言いました。
土嚢を作ったり、床下の土砂をのけたり。高齢化の地域で中学生は戦力です。
おばあちゃんから、
おかげさまで…。あんたたちのおかげで…。手を合わされたかもしれません。
当然のことをしたまでですから。彼らは口ではそう言いつつ。
心の中でガッツポーズをしていたかもしれません。
家に帰れば、あんた宿題やったの?そう言われ。
学校では、何回言ったらわかるんだ!そう言われていたのです。
自分にできることをすればいい。
できることをすれば、喜んでくれたり、感謝してくれたり、認めてくれたりする人がいる。
彼らは立派な地域の当事者になりました。
「明るい未来を 僕らの手で」
生きることの意味。生きる力の意味を学んだのです。
最後に主体的・対話的、深い学びについて、ポンチ絵を描いてみました。
わかりやすくするために、思いっきり単純化しています。
2つの重なった三角が3つ並んでます。
まず左をご覧ください。
二つの三角はほぼ重なっています。
単一性、ないしは同質な集団。
そういう人たちが何人集まって話をしても、それは「対話」ではありません。
次に真ん中を見てください
a君とb君がいます。
それぞれ異なる経験、異なる考え、異なる得意不得意、異なる価値観を持っています。
a君とb君は、反発していて、お互いの意見を受け入れることができません。
そんな二人は重なる部分でしか協働できません。これは妥協です。
この二人に「対話」は成立していません。
右側の三角を見てください
a君とb君はお互いを尊重し、認め合っています。
お互いの違うところについて、正しい、間違っている、そういうジャッジはしません。
「対話」を通して、異なる意見をお互いに取り入れ、新たな価値を生み出しています。
「対話」には次の3つの段階があるそうです。
「自己との対話」「他者との対話」「社会・世界との対話」です。
一つ目は、
内省を通して自分に気付きが起こる「自己との対話」。
自己理解、自己決定、自己調整につながります。
二つ目は、
異なる意見の奥にある相手の「願い」に気付く「相互理解」を通じて、
両者が満たされる第三の道を模索し、「共創造」する「他者との対話」。
三つ目は、
組織や社会の課題というものは、
自分もその構造の一部であるという当事者意識から変化を起こしていく「社会・世界との対話」です。
自分ごと、当事者意識。
これなしにはそもそも「対話」は成立せず、合意形成も創発もないということです。
問われて解く。受け身ではだめで、
自ら問う。能動。主体性がまず必要です。
目に見えた。耳から聞こえた。 そういった受け身の関わりばかりではなく、
「身体性を伴う五感からの「知覚」と喜怒哀楽の感情が統合された「体験」」を通した、
リアルの関わり。
このことが「自分ごと」「当事者意識」を持つことの必要条件であるように思います。
そのような「豊かな体験」は、教室の中、ICT 端末のモニターからだけでは、なかなか獲得できません。
一番身近な社会である地域のモノ・コト・ヒトとの直接の関わりを通じて、
自分ごととして獲得していくことが肝要であると考えます。
そのような考え方のもとで、目指す取り組みの姿として、
「ALL宇和島の共育」を掲げた、
「宇和島市教育大綱」を令和6年4月1日に、それまでのものに改定を加えて改めて定めました。
それがお手元にお配りしているものでございます。
3年半に及ぶコロナ禍にあって、
コミュニティスクールと地域学校協働活動も思うように進まなかったところもございます。
令和6年度は、再起動または再出発の年として、
新しい時代の教育と地方創生の実現に向けて、
「地域と共にある学校づくり」と「学校を核とした地域づくり」に取り組んでまいります。
みなさまのご指導とご鞭撻を賜りますよう、お願いを申し上げまして、
宇和島市からの発表を終わります。
ありがとうございました 。
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