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「村を捨てる学力」から「村を育てる学力」への転換

副題の「予想されるホワイトカラーの消滅」。
このタイトルも十分にインパクトがありますが…。

次の記事は、このような記述で締めくくられています。
とても響くものがありました。

「村を捨てる学力」から「村を育てる学力」への転換
それこそが教育界が長年希求してきたことに他ならない

初等中等教育段階で「村を育てる学力」を

記事の画像は、次のリンク先からもらってきました。
合田哲雄さんは、過去2回の学習指導要領の改訂に深く関わってきた方です。
次期改訂にも大きな影響力を持っています。
facebookで積極的に発信されています。
フォローして、どんなことを発信されているか注視しておくと、今後のこの国の教育がどの方向に向かっていくかが見えてきます。

「村を育てる学力」は絶版になっているそうなので、ネットで当たったところ次の2つの記事にいきあたりました。
とても感銘を受けました。
それぞれ一部を引用して紹介します。

1つ目は、香川県教育委員会の工代祐司教育長の記事

【一部を引用】
『村を育てる学力』は、1957年に明治図書から出版された東井義雄さんの本の題名だ。当時、東井さんは兵庫県の農村で小学校の教師をされていた。高度経済成長のとば口を迎え、貧しい農村から夢多き都会へと子どもたちを送り出すことが学校の使命とされていた。

東井先生は言う。「村の子どもたちの希望を、都市の空に描かせることによって、『学力』の昂揚をはかろうとする。」「この道が学力昂揚の唯一の道であり、村の子どもたちをしあわせにする道であるようにも思われる。」

しかし、「私は思わずにはおれない。このような、『村を捨てる』立場から育てられた『主体性』が、『村を捨てる学力』を形成していくことは必然だが、はたしてこれでよいのか…と。」学力の普遍性と地域性の葛藤の中で、先生は、「村を育てる学力」の意義と必要性について探究、提唱された。(「」内は原文引用)
【引用終わり】

2つ目は、文部科学省のなかがわさとゆきさんの記事
3個所引用します。

「当事者意識」「愛」。刺さりました。

【引用】
「兵庫県の貧しい地域で教師をやっていた東井氏は、当時の進学するためだけの学力を「村を捨てる学力」と表現し、地域を豊かにする「村を育てる学力」が必要だと訴えます。」

「この部分を読んだとき、私は、2020年から段階的に実施されている新学習指導要領と60年以上前に書かれた教師の実践の方向性との見事な一致に驚きました。
東井氏は、新学習指導要領が示している教科特有の見方・考え方を働かせる学習であり、それを実現するための「社会に開かれた教育課程」の必要性について明確に論じています。」

「この部分は、新学習指導要領が示している主体的・対話的で深い学びと同じだと感じるとともに、教師をしていた頃の自分にここまでの覚悟や理念を持って授業に向かっていたのか、大いに反省させられました。
東井氏は、自分の故郷ではない、でもその地域にある学校の教師として、その村を愛し、その村を豊かにすることを自分ごととして捉え、そして、村の未来の担い手である子ども達と向き合っていたのだと思います。それも、教師としての専門性を最大限に発揮しながら。

私が離島である海士町のまちづくりで学んだことも、この当事者意識であり、きっとそれは「愛」なんだと思います。」
【引用終わり】


これはあくまで私の印象ということにはなりますが、
愛媛県はどちらかと言うと、これまで「村を捨てる学力」の教育をしてきてしまったかもしれない。
そういう反省に立たないと、地域の衰退はおそらく止まりません。

その意味で、
現行の学習指導要領が何を目指しているかを理解しておくことは大切だと思います。

そして、これまで、愛媛・宇和島が何に取り組んできたのか、取り組んで来なかったのか。
現状、何が上手くやれていて、何が上手くやれていないのか。

これから、私たちは何を目指したいのか。何ができるのか。

今後、このあたりについても取り上げていきます。

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