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みかんのまちとして残っていけたら。柑橘ソムリエ理事長が語る宇和島への想い

「柑橘を文化的に楽しみたいんですよね」

そう語ってくれたのは愛媛県宇和島市でみかん農家を営むニノファーム代表の二宮新治(にのみや しんじ)さん。(以降、二宮さん)
宇和島市の白浜地区で17年間みかん農家をされています。

二宮さんは「NPO法人 柑橘ソムリエ愛媛」の理事長としての顔も持ちます。柑橘ソムリエ愛媛は、柑橘を楽しむプロフェッショナルを育て、柑橘の魅力を広める活動を行う団体。その発起人の1人であり、理事長を務める二宮さんは宇和島で名が知れた存在です。

みかんの伝統的産地である宇和島で産まれた「柑橘ソムリエ」という柑橘の楽しみ方。柑橘ソムリエのライセンス保有者である筆者が二宮さんの宇和島への想いを伺いました。

宇和島にUターンして柑橘栽培を始める

穏やかな宇和島の海が見渡せる場所に位置するニノファーム。海沿いにある木造の倉庫は独特な趣ある雰囲気を醸し出しています。この倉庫で収穫した柑橘を保管し、品質や大きさを分ける選別を行っています。

ニノファームの倉庫。右は二宮さんのお父さんの二宮修治さん。修治さんとの2人でメインに柑橘の栽培をされています。

二宮さんは宇和島のみかん農家の家庭で生まれ育ち、高校卒業後に関西に出ました。宇和島を出たいわけではなかったものの、周りは出ていくのが当たり前で、一度は都会を経験したいという気持ちもあったとのこと。社会人になってからは京都でアパレルの仕事などをし、10年ほどを関西で過ごしました。

20代後半に差し掛かるとき、会社員ではなくて自営業をしたいという気持ちが芽生えました。そのタイミングで家のみかん農家を継がなければ畑も家もなくなると直感的に思ったとのことです。

「その頃、農業の景気は悪かったですが、農業は伸びてくる気がしました。今からやるんだったら農業が面白いんじゃないかと感じていましたね。」

それで仕事をするなら農業だと思い、自営業で農業をしようと決断。もともとふるさとの宇和島が好きだったこともあり、宇和島に帰ってすぐに就農しました。

栽培のこだわりは畑の味に仕上げること

二宮さんの家はもともとはみかん農家と海仕事の兼業でした。
大きいみかん農家には資金力も設備もあり、後継者がいましたが、中小規模のみかん農家はほとんど後継者がおらず。二宮さんの家は小さい農家だったので、設備が充実しているわけではなく、ほぼ新規就農者の気持ちでスタートしたということです。

2008年に就農して以降はみかんの単価が上がり、環境的にやりやすくなってきたといいます。最近は補助金が充実し、畑も空いてきているので規模を広げようと思えば広げられる環境が整っています。二宮さん自身は、今はある程度畑の規模を広げており、現状維持で手一杯とのことです。

農業を始めて2025年で17年目になる二宮さん。栽培の面で意識しているのは引き算なんだとか。

安定的に生産を行うために多くの手数をかけ、海外の資材を入れるのも1つの手法ですが、もともと宇和島にないものを入れるのはどの土地で作っても同じ味になる。レベルは上がるが、個性は消える印象があるので、最先端の農業は頭には入れるけれど、そこから引き算するのが二宮さんの考えです。

宇和島の土地の素材を活かし、自身の畑の味に仕上げることを大切にされています。

「畑の味にこだわらなくなったら僕じゃなくていいし、うちの畑じゃなくていい。」

数人でもいいから「二宮さんのみかんはちょっと違うよね」「優劣ではないけど個性があるよね」と言われたい。味はある程度完成していて、個性は出ていると思っているので、今はそれを維持する段階とのことです。

宇和島では戦後からみかんの栽培がはじまり、二宮さんのおじいさんがしていた手法を今もしている部分もあるとのこと。新しいことを取り入れつつ、うまくバランスをとりながらの栽培を意識されています。

経済ベースではなく、文化的に柑橘を楽しみたい

二宮さんは宇和島のみかん農家仲間とともに「柑橘ソムリエ愛媛」を立ち上げています。2025年で11年目になり、2020年から各地で開催している柑橘ソムリエのライセンス講座は12回を数えます。2025年2月に開催した和歌山講座で、ライセンス保有者は189人になりました。

ソムリエの講座を年2回は開催することを方針とし、つながりのある地域や柑橘にゆかりある場所での開催を目指しています。

柑橘ソムリエで大事にしていることは「文化」です。
文化を重要視するきっかけは、文化とは反する「経済」でした。みかんの話といったらニュースや生産者の飲み会でも、売り上げや生産量といった経済のことばかり。

農家をしている人たちが先祖代々受け継ぐ想いだったり、田舎の暮らしなどちょっと違う話があってもいいのではと二宮さんはもやもやしていました。その経済への反動から文化に重きを置くことになりました。

柑橘ソムリエ愛媛の公式テキストブック「柑橘の教科書」。味のある柑橘のイラストが印象的です。

柑橘は、一般的にみかんといえばイメージする温州みかん、年明けから収穫が本格化する中晩柑、レモンやゆずといった香りを楽しむ香酸柑橘など日本で栽培されているだけでも100種類ほどあります。

柑橘ソムリエの講座では、それぞれの柑橘の特徴や栽培を知ったり、柑橘の目利きを身に着けたり、生果やジュースの味を表現したりとさまざまな楽しみ方を学びます。2日間の講座の後に行われる筆記と実技の試験で合格点を超えれば柑橘ソムリエになることができます。

柑橘ソムリエの運営としての仕事は年々増え、今のメンバーだけでは手が回らない部分も多いとのこと。クリエイティブな部分も求められる運営を担える人の確保は、今後に向けて重要になり、考えている部分だといいます。

二宮さんが美味しいと目利きして選んでくれた温州みかん。形がやや上すぼみで、外皮のつぶつぶ(油胞)がきめ細かく、いいみかんとのこと。とても甘くて美味しかったです。

二宮さんが2024年シーズンで一番うまく栽培できたのは、強いて言えば「はるか」。全国的に不作なシーズンで、柑橘の出来もあまりよくない中、はるかは一番マイナス面が少なかったとのことです。すっぱそうな黄色の外皮からは想像できない優しい甘さが特徴の柑橘です。

15品種ほどを栽培する自身の畑では品種を増やすつもりはないようですが、気になっているのはカラカラネーブル。ベネズエラ原産の果肉がピンク色に近いネーブルオレンジです。柑橘ソムリエ所属の農家で生産している人がいないので、ラインナップとしてあったらいいと話してくださいました。

宇和島は宝の山。みかんのまちとして生き残っていけたら

二宮さんにとって、生まれ育った宇和島は好きで当たり前の場所。農家はどんどん辞め、自然災害が増えて柑橘は作りにくくなっていますが、ある意味宇和島は宝の山とのこと。みかんもみかん農家の価値もこれからますます高くなるのは間違いありません。

「僕は宇和島で生まれ育っているので、宇和島に1人でも農家を増やして、みかんのまちとして生き残っていけたらと思っています。他のみかん産地と比べて必ずしも日本一とは言いませんが、元々は宇和島のみかんが日本で一番高く、組織力もあり、縛りもそこまで強くない。

そこまで踏まえたら宇和島はトップクラスにあると思います。欲をいえばもう少し大都市が近かったらとは思いますけど(笑)」

農業はあくまでも個人の農家の集まりで、辞めるときはみんな辞めていく。1人でも宇和島に農家が残るように皆で力を合わせ、その積み重ねで30年後、50年後が決まると考えています。

「宇和島はすごい、可能性は十分ある」と語ってくださいました。

最後に柑橘ソムリエ理事長として、今後どのように柑橘の魅力を伝えていきたいかを尋ねてみました。返ってきたのは筆者が想像していなかった意外な答えでした。

「ソムリエの活動をはじめて10年、ライセンス制度をはじめて5年。当初と今で変わらない部分も変わった部分もあります。魅力を伝えることに関しては、変わった部分。

昔は柑橘の魅力を広めてくれる人は少なく、柑橘の魅力をソムリエの運営メンバーで伝えようとしていました。けれど今はライセンス保有者が柑橘の魅力を広め、楽しんでくれています。なのでもう魅力を伝えようとはしなくても、きっかけだけ与えられたらいいと思っています。」

「きっかけは何でもよくて、イベントでみかんを食べたり、ジュースを飲んだり、講座に参加したり。すでに柑橘が好きな人は全国にいて、そういう人が参加できる場所、イベント、コミュニティを作れたら勝手に仲良くなってくれます。

僕らはそういうきっかけを作り、参加してくれた人が飽きずに長く楽しんでもらう場を定期的に提供していくのでいいと思っています。」


筆者も柑橘ソムリエを通じて柑橘にはまるきっかけをもらえた1人。今後も宇和島から柑橘を楽しむ輪が全国に広がっていくことが楽しみです!

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