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宮城県視察【総括】

6月11日、12日は、受講生32人と関係者8名で宮城県へ。

「震災から12年。東北へ行って何を見てくるの?」と聞かれました。

震災発災直後から復興へ。
家も仕事も家族も亡くし、悲しみをこえることできず、それでも生きる。
前を向き、意地を張っても、明るく、一歩一歩どのように生きているのか、何を伝えようとしてみえるのか。

「私たちは”ひと”に会って話を直接聞いてきます」と答えました。

地域女性防災リーダー養成講座の中でわたしが伝えていることのポイントが3つ。

1)防災リーダーとは何か 出る釘は打たれてもリーダーになれ
 → みんなででれば怖くない。打たれ、たちあがればさらに強く優しくなれる

2)災害発災後 できるだけ早く日常へ
 → 平常時にひとりひとりの困ったを放ってはおけず行動しているからこそ、その専門性は災害の専門家より、専門性が高い、その専門性を生かし自身をもちできるだけ早く平常時へ

3)平常時にできないことは災害発災後もできない
 → 奇跡は偶然ではおきない。だからこそ平常時からの活動が大切。すぐにはじめましょう


そして基本方針として、

・平常時も災害時も子どもの権利を保障する
・平常時も災害時も女性目線
・地域で活動する

ということ。


まずは一つ目のポイントを感じていただくために、初日は以下、見て、聞いてもらいました。

・地域の防災力を上げるためには、地域にあるヒエラルキー的な組織の存在だけでは、そこを強化するだけでは難しいと思う
・自分で現場を見て分析して、考え判断して行動できるリーダーがいる
・多様で多彩な組織が重層的に地域で活動している
・そこには女性リーダーが自律し、日頃から女性目線で活動している
・それらが互いに勝手にゆるやかなネットワークをつくり、いざという時に動き、災害発災後も連携して未来に向かってまちづくりをする。そういった組織のリーダーを目指してほしい
・自主防災組織・避難所運営委員会・防災会議などの意思決定のポジションに女性が就任するのはもちろんであり、同時に多様で多彩な組織のリーダーへ
・特に判断し、その行動に責任を持っていただきたい
・最後まで諦めないで主張し行動する。そうすれば、想いは伝わり、共感者が現れる

2日目には南三陸町へ。
通常は語り部バスに乗られますが、観洋の伊藤俊さんには私たちのバスに乗っていただき、南三陸町でのあの日を語っていただきました。
大川伝承の会 只野英昭さんからも、各スポットを巡りながらガイドしていただきます。


○戸倉小学校
・学校は低いところにあった
・日常から高台に逃げる訓練をしていた
・迷わず逃げ、全員助かった
・高台にある戸倉中学校の跡地や、仮設住宅が設置されたところも見てきました
(過去、私はそこに避難された方の「南三陸町からの手紙」の出版もお手伝いしました)


○高野会館
・通常は入れない建物の中に入れていただきました
・あの日老人クラブの芸能大会で高齢者の方が三階に集っていた。高台に逃げるにも高台は遠い
・4階へ避難
・助かりたかったらここに残れ
・約327人の命が守られた。4階の部屋は狭く全員がたっていても鮨詰め状態

○大川小学校
・裏山へ、受講生の小学校一年生のお子さんも一緒に登ってみました
・こどもも先生も「裏山に登ろう」と声をあげていた
・現場には校長先生はいなかった。教頭先生をはじめ、11人の先生はなぜ登るという判断ができなかったのか
・児童108名中74名、教員10名が亡くなられた


○雄勝小学校
・大川小学校より急な斜面の裏山
・地域の人の「登れ」の声を聞き、登った

○雄勝ローズファクトリー
・お子さんとお母さんが別の場所に
・お母様は亡くなられ、ご実家の跡地にお母様の好きな花を植えた
・支援者も被災者もともにガーデンをつくり、まちづくり
・平常時からの活動が大切であると、市民の自治力が大切であることを話されました

受講生のみなさんには伊藤さん、只野さんの話を聞いていただき、自分で判断し、行動できる力を頂いたのではないでしょうか。

視察の最後、徳水理恵さんのご案内で、受講生には今が盛りのバラと珍しいオリーブの花を見ていただき、気持ちを明るくして帰路についていただきました。

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